川北英隆のブログ

サトレジ川のカルパ村へ

シムラーが最後の「都会」。イギリス植民地時代の夏の首都であり、保養地だっただけに、日本人にとって高度さえ(ついでにビールを)気にしなければ文句はない。そのシムラーから斜面のりんご園を見つつ3000m近い高原を北へ走ると、チベットの雰囲気になる。
高原地帯から北へ、標高900m程度のサトレジ川の流れへと大きく下る。サトレジ川はカイラス山を源流とする、インダス川の一大支流である。氷河の流れを集めているため、茶色く濁っている。
後は流れを遡る。道路は国道なのだろう、5号線とある。中国との国境地帯に向かう重要な道路らしい。もっとも川を遡るにつれ未舗装の部分や、峡谷の岩を穿って半トンネル状に付けられた箇所も登場する。厳しい条件下の山岳道路である。
加えて、サトレジ川へと流れ落ちる沢によって土砂が崩れ落ち、荒れた箇所が出てくる。いつ土石が流れ込んだのかは不明だが(多分、雪解けによるのだろうが)、土石の除去や崩れ落ちた路肩の補修作業のため、一般車輪が5分程度待たされるのはザラになる。
車窓から見ていると、サトレジ川とその支流の水量が豊富なため、水力発電も盛んなようだった。送電線も多い。インドの中央部に電力を送るのだろう。
建物として、最初はヒンズー寺院が目立つ。そのうちにチベット仏教のタルチョが現れ始める。文化圏が変わっていく証拠である。
公衆もしくはレストランのトイレを借りるための休息時間がある。
警察の検問箇所もある。簡単にというか、山越えをすれば中国(チベット)であるため、通行をチェックしているのだろう。
2個所目の検問を過ぎると当日の宿泊地、カルパ村だった。といっても、標高2000m程度のサトレジ川の河岸から2900m以上の村の上部までのジグザグの舗装道の登りがある。
カルパ村の最上部に当日のホテル(ゲストハウス)がある。深い谷を挟んだ対岸にはキナールカイラス(6060m)の白い姿があった。頂上部は少し雲に隠れていたが。夜、村の寺院の屋根だろうか、ライトアップされていた。「進んでるな」というか、「無駄な」というか、これがインドの現実である。
上の写真はシムラーから1時間程度の高原の村にある食料品売場である。野菜の中にワラビがあった(左端)。旅行中、バナナ、じゃがいも、玉ねぎ、カリフラワー、トマトが頻度高く出てきた。下はカルパ村の寺院と対岸の5000m以上の峰々である。カルパに到着し、ヒマラヤを感じた。下にリンゴ畑が広がっている。
20240730村の食料品店.jpg

20240730カルパ村の寺院と高峰.jpg

2024/07/30


トップへ戻る