川北英隆のブログ

国営放送の自己防衛が前面に

国営放送のニュースがニュースではなくなった。とくに地震や気象のニュースがそうである。「準備して」「逃げて」と叫ぶのがニュースなのか。そんな避難指示を受けるために受信料を払わされるなんて、国民はノータリン(ナフタリンと違う、脳足りん)扱いだ。
地震の時にどう行動するのか、台風が来て大雨が降ればどうするのか、その基本は義務教育で教えればいいし、それが重要な役割である。国営放送の役割は、その国民の学びに基づく判断のための、「現時点で得られている具体的かつ正確な情報」の提供にある。
ついでに書けば、義務教育は(たとえば津波や洪水に危険性に対して)どんな土地に住めばいいのかを考えさせないといけない。これらの学びに呼応し、規制やインフラを整えるのが国や地方の行政の役割である。
では、台風や大雨に関して具体的かつ正確な情報を与えるため、国営放送はどうすればいいのか。「準備して」「逃げて」と叫ぶくらいなら、台風が接近しつつある場合、数日前から放送時間を延長してでも気象情報を充実すべきである。大雨の場合、危険性のある地方においては、臨時でもいいから気象情報の時間に切り替えるべきである。
ということで、民放並みの娯楽番組を流している場合ではない。いつも観ている番組が「来週に延期」は悲しいだろうが、当日になってアナウンサーの絶叫しまくりを聞くよりはましだと思う。
アナウンサーが絶叫する背景には、国営放送の自己防衛本能があるように思う。つまり、「お前らは最新のビルにいるからのほほんとニュースを読んでいられるのや、災害に遭った者の身にもなれや」と罵られないように絶叫する。つまり「同じ立場にいる」「同じ痛みを感じている」と芝居するわけだ。19時のニュースにも「きょうもあすも あなたと一緒に」と、確か書いてあった。
そんなアナウンサーを役者に任じた国営放送幹部一座の猿芝居は、一度なら「素晴らしい」と感じるかもしれないが、毎回ともなると「プッツン」してしまう。
先日、ある飲み会で同じことを話したところ、「でも、一度やったら止めたらあかん、止められへんのや」との意見があった。つまり、「準備して」「逃げて」と叫ばなかったら、国営放送を観てる国民が、とくに爺婆が、「今回は大したことないのや、大丈夫みたいや」と思ってしまうとの意である。
つまり国営放送の絶叫は麻薬みたいなものか。だとすると、国営放送が受信料を徴収するのは、その麻薬の代金なのか。国民はノータリンやなくて、シャブ漬けにされつつあるわけか。

2024/08/26


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