川北英隆のブログ

子供の頃の夏休みの記憶

こんなに暑くては、子供にとって夏休みの楽しさはと疑問になった。冷房の中で過ごす家中なんて、鬱陶しいだけのような気がする。ましてや両親が共働きの場合、どうするのか。ゲームか。僕が小学生だった頃と夏休みの環境が大きく変わっている。
小学生の頃の夏休み、最初に宿題を片付けた。夏休みに入る少し前にドリル的なものが配られたと記憶している。それを一気に片付け、悠々と休みに突入する。
すぐ後で母親の実家に遊びに行った。7月20日過ぎには、まだカブトムシとかクワガタとかが生き生きとクヌギの樹液を吸っていた。もっとも実家の叔父さんが言ったのは、クワガタに関しては少し遅いと。夏休みが10日早ければと、毎年恨んだ。
その実家で過ごしたのはせいぜい1週間位だった。というのもトイレが怖かったから。
板張りに穴が開いていて、小用の高さ20センチ程度の板が前にあるだけで、穴の他の3方の縁には何もなかった。だから、足を踏み外して落ちるイメージが付きまとった。何回か体験しているチベット風の、穴を開けただけで、4方に何もないよりはましなのだが。
話しが変な方向にずれた。1週間近くして母親の実家から戻ると7月も終わり近い。その後の休みを、どうしたのか。親戚からもらったモモ、ブドウ、スイカを昼下がりに食べるのが楽しみだった。友達と時々遊んだ。でも食べた後、外に出ると暑く、関西の白い地面(花崗岩質の砂が多い地面)が眩しかった。だから朝方と夕方にしか活動しない日が多かったように思う。その程度しか思い出せない。
そう、ラジオ体操もあった。学校のプールに行く必要もあったと思うが、そもそも学校に行くのが好きではなかった。夏休みに1回くらいは海水浴もしくは木津川に泳ぎにいった。海は遠いし暑いので、これもあまり好きではなかったが。
盆には母親と一緒に実家に行くことが多かった。つまり夏休みには2回くらい、母親の実家に行ったことになる。
盆が過ぎると、当時は秋らしさが漂った。休みの終わりが迫ってくるのは悲しいものだ。だから盆過ぎは好きでなかった。秋が待ち遠しい今とは大差だ。
以上、多少は活動的だったような気がするものの、言うほどではなかったのかも。しかし冷房のない場所では過ごせないような、今の日本とは違うと思う。「部屋の中でゲームなんて、正月休みやないんやで」だ。
参考のため、チベット式のトイレをアップしておく。板は貴重なので、床は土である。今ではチベット寺院以外、ほとんど使われていない。
20240828チベット式トイレ.jpg

2024/08/29


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