真夏の暑さが続く中、山歩きをサボれば体力が落ちる。思案して、今回は篠山盆地の山を目指した。普通は秋か冬に行く山であり、そうすれば楽しいのだろうが、夏にも良さがあろう。
いつものように十三、宝塚を経由して福知山線を使い、篠山口駅に向かった。この篠山口付近は地形的に興味深い。加古川の支流と武庫川の源流とが地形図ではつながっている。人工的に流れを作ったと思えるのだが(調べていない)、簡単に開削できる平地が続いているのも確かである。
篠山口で降りるのは3回目だった。最初は88年の正月、東口から駅前に出て、篠山の名山、小金ヶ岳と三岳を歩いた。もう1回は22年、西口に出て、これも篠山というか丹波の名山、白髪岳に向かった。
今回は東口に出た。篠山盆地の山はバスが不便である。篠山市の中心部が駅から直線距離で4キロある。だから88年の時もそうだったのだが、片道はタクシーを使わないと山の時間的効率(流行りのタイパ)が悪くなる。
駅前でタクシーを待ち、国道372号線沿いの小中の先、辻の手前で下り、最初に弥十郎ヶ岳(715.0m)を目指した。盆地の南東側の外れである。地元では名のある山ながら、最後はタクシーを案内した。
弥十郎ヶ岳にある南山城跡を通り、北峰を経て山頂に着いた。城趾から北峰まで多少不明瞭な箇所があるものの、迷うほどではない。
山頂からは北峰との鞍部に戻り、一般ルートである谷沿いを下った。案内板やテープは揃っているものの、岩場があり、あまり感心しない。試していないが、北峰から尾根伝いに下った方がいいように思えた。
弥十郎ヶ岳から下りたのは畑市という村である。そこから車道を3キロ少し歩くと、高城山(たかしろやま、462m)の登山口である。いくつかコースがあるのだが、今回は八上上登山口(藤之木坂コース)から山頂に達し、下りは八上内に下った(右衛門コース)。地元のハイキングコースとして整備されている。
高城山は戦国時代、波多野氏が八上城を構えていた。織田信長の丹波攻略により、波多野氏は滅亡、江戸時代に篠山城が築かれたため、八上城は廃城になった。
下山後、2キロばかり車道を歩いて神姫バスの篠山営業所に出た。そこから篠山口行きのバスがある。篠山の中心部を通りながら眺めていると、古い家並みが残り、観光客が多かった。
タクシーを下りたのが8時40分、バス停に着いたのが15時30分だった。途中、高城山の山頂で20分ばかり暑さ凌ぎの大休止をした。
写真、上は畑市からの弥十郎ヶ岳である。北峰が奥に見えるが、主峰は右手前の山に隠れいているようだ。下は下山後に見た高城山である。本当は国道の写らない撮影ポインが見つかったはずなのだが、炎天下に探す余裕はなかった。
2024/09/15