川北英隆のブログ

宗教の社会的な意味とは

70年以上生きていると「思想」について考えてしまう。とくに思想の中心に忍び寄る宗教である。僕自身に誰かが、「何の宗教を信じているか」と問えば(誰も問うてくれないものの)、「山岳教」と答えることにしている。自分自身のある意味で仮想の「宗教」である。
そもそも宗教とは何か。いろんな説があるとは知りつつも、僕はシャーマン(あの世とこの世の交信が可能とされる人物)の親分だと思っている。あの世の代表が天国や極楽であり、あの世界、つまり理想の状況と、その正反対つまり地獄を描き、この世のあるべき姿を指し示す。それが宗教の創始者なのだろう。
宗教の創始者は賢いから、彼らが生きた時代の課題を解決する知恵も習得している。その知恵の現世的な発現が奇跡だろう。理想の世界に現世的な知恵を含めつつ、昇華したものが経典もしくはそれに類似するものである。
 この意味で広くこの世界に流布した宗教には現実性が込められている。友人が語っていたのだが、一番後発のイスラム教は他の宗教と比べて科学的だと。後発であるから新しい知識を習得している。当然だろう。
たとえば、以前にも書いたと思うが、アルコールの禁止は、イスラム教が発祥したアラブ地域においては科学的な知見からも支持される。つまりアルコールは脱水症状を起こすから、乾燥地域において、そんなのを飲まないのが正しい。
とはいうものの、当時の支配者に対するおもねりもある。自分たちが、そして自分たちを信じた者が世の中を支配するための準備も込められている。支配者に信じてもらえれば、発展が約束されている。
この現実性とおもねりとが、同じ宗教であっても様々な宗派を生んだと考えていい。言い換えれば、時代が変わるにつれ、科学的な知識が発展する。政治的支配者(宗教家であってもいい)の意図も変わっていく。
宗教は大衆に対して「特定の意識や志向」を作り出す力がある。宗教が大衆の知恵というか「思い」の集約でもあるのだから仕方がない。一方、宗教家が大衆の思いを一つの方向に導くことがある。とはいえその方向は、従前のものをバージョンアップしたものにすぎない。そのバージョンアップを利用し、支配者が政治の方向に沿って宗教の教義を左右することも当然にある。
宗教とは以上のようなものだと僕は思っている。もちろん偉大な宗教家がいたことを否定するものではないが、それは偉大な科学者がいたことと大差ない。
現在の宗教とは、偉大な宗教家とは離れた位置にある。支配者もしくは支配を目指す者達の道具でしかないと思えてならない。

2024/09/18


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