川北英隆のブログ

アテネ市内の今昔

アクロポリスとパルテノン神殿が、51年前のイメージと大きく異なっていたことはすでに書いた。アテネ市内を含め、もう少し書き足したい。
51年前の記録は色褪せた写真アルバムしかないに近い。その写真によると、アテネ市内の宿泊地はアクロポリスに近かった。記憶も同じで、(まずホテルに荷物を下ろしたのだろう)すぐ近くにあった。
ただしアテネに着いた当日は早朝だったこともあり、考古学博物館、オリンピックスタジアム、ゼウス神前などを見て歩いた(文字通り歩いた)ようだ。
その夜、リカビトスの丘(266m)へとケーブカーで登り、アテネの夜景を見た後、歩いて下りた。夜景と下った記憶がかすかに残っている。残念ながら、当時のカメラの性能が悪いため、またフラッシュを持参しなかったため、写真は残っていない。
翌日の午前、ホテルから歩いてアクロポリスを訪ねた。それを見ないでギリシャを訪ねたとは言えないから。土産物屋が並ぶ上り坂を、時々引っかかりながら上がり(今回、それらしい通りはなかった)、門を通り抜け、アクロポリスに入った。アクロポリス全体が廃墟と呼ぶにふさわしい状態だったのは、すでに書いたとおりである。
その中でエレクテイオン神殿だけ、女性の像が柱として残り、廃墟にふさわしくなかったと記憶している。今回、パルテノン神殿の修復が進んでいたため、エレクテイオン神殿の影が薄れつつあった。
51年前は、その日の午後の便でアテネからローマへと飛んだ。記憶とはアクロポリスを訪ねた日が1日前後していた(着いた当日だと記憶していた)のだが。
思い出したのは、アテネでアクロポリスの後(そのようだったのだが)、少し贅沢をして市内のレストランに入り、ギリシャ料理を注文したことである。その時の野菜だったか魚だったか両方だったか、美味かった。だから今回、「ギリシャは美味い」との印象を持って旅行に臨んだ。外れていなかったと思う。
そしてアテネ市内だが、当時は徒歩で回ったため(バスは路線が難しかったようだし、地下鉄はなかった)、狭い範囲に限られていた。もちろん当時もアテネ観光の中心部を歩いたのだが、今回はすっかりイメージが異なり、かつては古めかしく緑の豊かな感じの町だったのが、今回は建物が密集に近かった。歩くのとバスで眺めるのとは大きく違うのだろうが。
写真は順に、アクロポリスの入口、パルテノン神殿、エレクテイオン神殿(奥にあるのがリカビトスの丘)である。
20241010アクロポリスに入る.jpg

20241010パルテノン神殿.jpg

20201010エレクテイオン神殿.jpg

2024/10/10


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