静岡の中心はもちろん駿府城とその周辺である。東海道五十三次の府中宿は城下町の一角にあった。その駿府城のすぐ西に浅間神社がある。1つの神社かと思っていたら、7つの神社があり、総称して浅間神社(おせんげんさま)と呼んでいるとか。
その浅間神社へ、静岡駅から向かった。静岡のメインストリートは呉服町らしい。通りはかつての東海道でもあった。そこを歩いていくと、静岡銀行本店(多分、登記上残してあるだけ)の横を通る。その先は大きな交差点になっていて、渡ると日銀静岡支店に出る。そこで通りの名が茶町通りになり、金座町との地名が出てくる。
交差点を北に折れ、100mほど歩くと大きな鳥居が見えてくる。その鳥居を入口に、浅間神社の門前町が続く。ただし、その鳥居に行くには地下道をくぐらないといけない。静岡駅の北側といい、浅間通りの入口といい、車優先社会の名残である。
門前町を突き抜けると、もう1つの大きな鳥居があり、大歳御祖神社に出る。社殿は立派だったが、時雨模様だったため(神社のことは事前に調べていなかったこともあり)、大歳御祖神社だけを拝み、賤機山への登山口を探した。
大歳御祖神社の左側(西)に小道があり、それが縦走路の入口だった。案内は目立たないが、コースは整備されている。多くは林の中の道である。
階段を上がっていくと賤機山古墳がある。立ち寄ってみたが、古墳全体がビニールシートで覆われ、入口にも金網がかかっていた。縦走路に戻り、麓山(はやま)神社に出た。この神社は下の浅間神社の境内から長い石段で上がれるようだ。
その後は稜線歩きになる。途中、静岡の街並みが見える。賎機山公園と呼ばれている地点なのか。そうだとすれば三角点(140.0m、点名は浅間山)があるはずなのだが、見逃した。さらに先にB29墜落慰霊碑がある。静岡の特殊性かもしれない。
その慰霊碑から先は普通の山道になる。少し急な下りとなり、登り返すと賎機山(171m)の山頂だった。賎機山は今川家の時代から山城だったとか。また「静岡」という地名の由来ともされる。
林の中で展望がなかったものの、山頂の手前から安倍川方面がよく見える。ただし当日、時雨は止んでいたものの雲が多く、安倍川流域の山は見えなかった。
賎機山からは下りになる。西側が畑になっている。地図で確認すると、確かに標高差50mほど下ると人家に出られる。最低鞍部(標高100m程度の)地点にお地蔵さんがあった。
そこから登り返す。下には国道1号線のトンネルがあるらしい。最後に少し急な斜面を登ると三角点(191.8m、点名は大岩村)のあるピークに出る。茶臼山と呼ばれているらしい。北側には林がなく、安倍川や静岡市街の展望があった。
茶臼山から北に下ると、放置された茶畑の中の道になる。すぐに農業の車道に出る。その舗装道路を下り、ミカン畑の横を通って池ヶ谷に下った。
上の写真は賎機山山頂である。下は谷津山から見た賎機山方面である。奥の山の手前にある丘の左端が浅間神社からの登り口、右端が山頂である。
2024/10/22