川北英隆のブログ

丹波春日周辺の城山と五大山

丹波市春日から城山に登った。とか聞かされても、「丹」の付く地名はいくつもある。丹波篠山、丹波市、京丹波、南丹市などで、さらに丹後の付く地名も加わる。京都人でも、「丹、丹、狸の・・」と、訳がわからない。「どこや」だろう。
今回の丹波市春日とは春日局の春日である。福知山の南、丹波篠山市の北西に位置する。春日局が出生したとされる春日町の中心、福知山線黒井駅で降りた。京都からいつものように、十三、宝塚、丹波笹山口で乗り換え、福知山行きに乗った。
黒井駅で降りると、目の前に山頂の平らな山が見える。大きな黒井城跡が残る城山だとわかる。まずは春日局出生地碑のある興禅寺に立ち寄った。城山登山口はすぐである。ハイキングコースを城山(356.8m)まで登った。石垣などが残っている。
天守跡からは北西へと続く尾根に下り、春日から北側に見える山域の最高点、五大山(569.1m)を目指した。高度はないのだが、この縦走路がなかなか手強かった。
まず城山からの下りが急で、入口を草や灌木が覆っていた。道標は少ない。
途中の千丈寺山(346m)は鋭鋒だった。千丈寺山から一旦下り、三角点峰(ヨコガワ峰、363.8m)へ登り返すのだが、その鞍部がキレット状で、とくに千丈寺山側には少し苦労した。最後の五大山には前衛峰として三日月山(541m)がある。
五大山で軽く昼食の後、三日月に戻り、南西に続く尾根を歩いた。この尾根は「分水界の径」として丹波市が道標を設置している。分水界とは要するに中央分水嶺である。この分水界を福知山線の石生駅、つまり黒井の1つ丹波篠山口寄りの駅まで歩くことになる。石生駅は今年5月、ヒカゲツツジの群生する向山の登りに利用した駅である。
「分水界の径」と名付けられた尾根道にも、小さいながら鋭いアップダウンがある。由良坂、天王坂というかつての峠道を越えた後、分水界から外れるが三角点のある霧山(371.5m)を往復した。
分水界に戻り、権現山(349m)と呼ばれる鋭鋒を越えると、ようやく尾根道も緩やかになる。石生の城山(197.8m)まで下ると、後はハイキングコースである。城山から南東に下り、お寺(墓地)の裏側から行者山へと少し登る。再建された行者堂がある。
行者山から下ればすぐに県道で、そこには「日本一低い中央谷中分水界」(95.45m)の説明書きがある。後は石生駅に向かうだけだった。
黒井駅を出たのが9時10分、石生駅に着いたのが16時20分だった。
上の写真は興禅寺である。山門の前に春日局の出生地碑がある。下は「日本一低い中央谷中分水界」の説明である。
20241030黒井の興禅寺.jpg

20241030石生の分水界の看板.jpg

2024/10/30


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