11/8の日経新聞の9面に門間和夫さんの「失われた40年にしないために」が掲載されていた。日本経済と日本の株式市場について論じていて、株式市場は10年前に回復したが、経済は依然として回復しておらず、「失われた40年」になりかねないとする。
日本経済の「失われた40年」への懸念はまさにそのとおりである。門間さんは日銀出身であり、経済の専門家だという理由で賛同するわけではない。日本はちまちま経済に成り下がりつつある。活力にも乏しい。そう感じている。
それに対して、「株式市場は回復し、失われた40年への危惧どころか、失われた30年にも陥らなかった」というのは本当なのか。僕としての結論は、「門間さんは株式市場の専門家でないので、認識を誤ってしまったのではないか」である。読者を鼓舞するため明るく書いたのか、もしくはレトリックとして経済と株価との対比を際立たせたかったのかもしれないが。
論点は2012年後半から上昇してきた株価を「蘇った」と見るのか、そうではなく「単に元に戻っただけ」と見るのかである。依然として上場企業の半分前後のPBR(株価純資産倍率)が1倍を割れている現在(言い換えれば解散価値を下回っている現在)、「失われた時代を乗り切った」と断じるのは言い過ぎだろう。もちろん、素晴らしい企業が日本にあることを否定しはしないので、曇天の中に青空が見え始めたと言うのが正しいのかもしれない。
そもそも先進国の経済は企業活動と一心同体であり、その企業群の中心に上場企業が位置する。とすれば、経済と上場企業が、片や失われた30年に陥り、片や失われた30年から抜け出したというのは変な論理である。
株価と株価の裏側にある企業業績が回復したように見えるのは、企業が人件費を節約しまくり、古い設備を使いまわしたからであり、大人しい従業員が文句を言わずに生活費を削って対応したからである。さらに足元では円安が急速に進み、その結果として企業業績が伸びたように見えている。しかし世界基準(たとえばドルベース)で日本の企業業績を評価するのなら、見掛け倒しでしかない。
付け加えれば、過去に活躍した企業のうち、今も世界で活躍し、注目され続けている企業が日本にどれだけ残っているのか。多くの日本企業は名前さえ忘れ去られようとしている。逆に新しく登場し、世界的に注目を浴びつつある企業が日本にどれだけあるのか。これも少ないだろう。
いずれにしても株価が「失われた30年を免れた」というのは楽観的過ぎる。日本という井の中からの議論に過ぎない。
2024/11/11