高岡に泊まり、高岡駅始発の城端(じょうはな)線に乗り、終着の城端で降りれば高落場山が近い。そう計画したが、前日の夕方、ホテルから南の空を見ると、高落場山と思しき山に雲がかかり、翌日の天気予報は曇りだった。秋深い山で、雲の中を歩く気になれなかった。
前日に城端駅から高落場山の登山口までタクシーを予約しておくつもりだったが、天気予報を見て諦めた。それでどうなったか。朝起きると南の空は快晴に近かった。残念。
負け惜しみ的に考えた。高落場山が一番いいのは水芭蕉と新緑の頃、次の機会を作ることにして、「今回は城端の散策かな、山に入れば散策の機会がなかったはずだから」と決めた。
城端線は散村で有名な砺波平野を縦断する。知り合いがどこかに住んでいるはず。福野か福光か、どこだったのか聞いておけばよかった思いつつ、城端までの約1時間のディーゼルカーの旅を楽しんだ。
駅は城端の北の外れにある。駅前の国道304号線(五箇山街道)を南東に歩き、川(山田川)を渡り、次の川(池川)に架かる橋の手前で南に折れると、城端の町並みに出会う。
城端は山田川と池川に挟まれた小さな丘陵の上に、南へと伸びている。元は善徳寺の門前町として拡がったとのことだが、五箇山への街道沿いに位置していたことから、繭や生糸の集積地、さらには絹織物で発展した。今でも当時の繁栄ぶりが残されている。
その代表が曳山と蔵である。城端の曳山は6基あり、そのうち3基を曳山会館で見ることができる。ちなみに曳山は庵屋台(料亭を模したもの)、剣鉾、傘鉾と組み合わせた構成されているとか。
善徳寺と曳山会館を見た後、織物工場を見学がてら歩いた。向かったのは松井機業と川島通りである。川島通りとは、川島織物(今の川島セルコン)の創業者が生まれた場所である。ともに大きな工場跡が見られる。ちなみに川島織物は上場企業だった。株主になったのか、なろうと思っただけなのかは忘れたが、伝統ある京都企業の1つである。
このうち松井機業はまだ営業しているとのことだが、川島通りの工場は傷みが激しかった。近所の住人が言うには、かつてあった工場の渡り廊下が取り壊しになったとか。最近のことらしく、グーグルマップにはまだ渡り廊下が写っていた。
写真は順に、善福寺から見た城端の町、機織り工場(松井機業場)、曳山会館での曳山と庵屋台(千枚分銅山のもの)である。
2024/11/17