川北英隆のブログ

川島織物の栄枯盛衰

川島織物の社名を知ったのがいつかはわからない。多分だが、1980年代かなと思う。目立つ企業でもなかったのだが、会社四季報をパラパラめくっていて気づいたのかもしれない。今回、城端がそもそもの発祥地だと知り、当社の歴史をまとめたいと思った。
川島セルコンのHPによると、1843年、初代川島甚兵衞が創業したとする。京都を拠点としつつ、万博出展などを経て名声を博したようだ。
1949年に京都証券取引所に株式を上場、62年に東京証券取引所にも上場している。昭和天皇が工場を訪れたようで、この頃が川島織物の名声が最高に達していたのだろう。その後は絹織物全般の衰退の流れがあり、それに逆らえなかったようだ。
会社四季報によると、1957年の決算では(それ以前は京都証券取引所だったこともあり、掲載されていないと思える)、売上高540百万円、(税引後?)利益40百万円と、小粒ながら優良企業だったと考えていい。高級な製品を製造販売していたのだろう。川島一族の株式保有比率も高い。
その後どうなったのか。1990年3月の決算では売上高856億円、税引後利益16億円とある。高級路線だけでは成長できないので、製品を自動車関連などの大衆化に向けたため、利益率が低下している。また、株主から川島一族の名が消えている。
1990年代に入ると、日本経済のバブル崩壊もあって経営が厳しくなり、売上高が減少、赤字に転落している。利益率の高い高級品が社会に受けなくなったのだろう。その後も苦境が続いている。他社(セルコン)との合併もあって売上高は回復したものの、利益は戻っていない。
自動車の内装材に注力するため、トヨタ系への接近などを経たものの、赤字体質が続き、2011年には現在のLIXILの完全子会社化に至った。それも成功しなかったのだろう、2021年にLIXILグループから独立している。その後の川島織物セルコンの経営状態がどうなっているのかは調べきれていない。
思うに、イタリアやフランス企業では繊維部門での高級路線を継承し、発展している企業がある。これに対して日本の繊維部門では伝統技術を活かせていない企業が多いと感じる。日本文化のグローバル化が遅れたからなのか、日本企業がグローバル化に対して無頓着だったからなのか、それとも他の理由があるのか。
いずれにしても川島織物は残念な事例である。ちなみに僕が川島織物を意識したのは、やはり1980年代だろう。90年代に入ると日本企業全体への関心をなくしていたし、赤字企業に興味を示すほど酔狂でもない。とはいえ、川島織物が全盛期を過ぎてからなのは確かである。

2024/11/18


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