政府と日銀は「物価の上昇というかデフレ状態からの脱却と賃上げの好循環」を目指しており、それが出来上がりつつあるという。どこまで本当なのか。
思い出せば今回、物価と賃金の関係が論じられるようになった発端は円安であり、輸入品価格の上昇だった。日本の主要な輸入品である原油や石油製品、石炭、鉄鉱石、食料品などの価格が上昇した。それまで人件費をはじめとするコストカットで製品価格を低水準に貼り付けてきた企業は、輸入物価上昇への対処方法が見つからず、製品価格の値上げを余儀なくされ、物価を上昇させた。
おかげで賃金は物価上昇分だけ目減りしてしまい、「このままでは消費が縮んでしまう」危機的状況を迎えた。政府に対しては当然、「何してるんや」と国民から文句が殺到するだろう。だから政府は、自己防衛も兼ねて「賃上げ」の音頭を取ったのである。今回、官製賃上げの色彩が強いのには、このような背景がある。労働組合が大人しいことがもっと底流にあるのだが。
この点、日本の高度成長期の賃上げと大きな差異がある。当時は企業の生産性が上がり、世界的な競争力も高まった結果、企業の利益が増大していた。その利益の一部を賃上げの形態で従業員に還元したのである。
もっと言えば、生産を拡大するために従業員数を増やす必要があり、そのためには重要な労働条件としての賃金を上げることが効果的だった。だから企業は競争して賃金を上げた。この賃上げは消費者の製品やサービスに対する需要を高め、また生活水準の向上を目指した新たな需要も生み出した。
以上から、日本の高度成長期には、生産性の上昇・競争力の増大が起点となり、賃上げ、物価の上昇がもたらされたと言える。現在のような物価上昇が起点になったのとは大きく異なる。
角度を変えて今回の物価上昇と賃上げを表現すると、「望ましい姿ではない」とわかる。高度成長期の物価上昇は、賃上げからが起点になっていたから、「まあしゃあないか」だろう。今回は物価上昇が起点であり、「何とかしろや」から始まっている。
企業としても、円安の恩恵(?)を受けない国内企業の場合、賃上げの原資を稼ぐために物やサービスの値段を仕方なしに上げる。もちろん生産性を上げないと、値上げだけでは消費者から嫌われるだけだから、企業も努力をするのだろうが、その努力が成果を生む保証はどこにもない。競争から脱落し、淘汰される企業も出てくる。
加えて日銀が金利を上げようとしているから、これも企業の淘汰を進める。この企業の淘汰は経済としての新陳代謝であり、日本にとって長期的には好ましいと、今の日銀は密かに思っているのだろうが。
今回の「デフレ状態からの脱却と賃上げの好循環」という表現は、ある意味でまやかしである。とはいえ、僕自身も企業の淘汰と新陳代謝が必要だとの立場だから、賃上げと、それを支える生産性の向上への努力は、企業として当然あるべき姿だし、これまでのコストカット一辺倒は変過ぎたと考えている。
2024/11/27