11/28に報じられたところによると、ユニチカが経営破綻とは言わないものの、事業破綻したとか。メモしておく。銀行に対して債権放棄を要請したとされるから、実質的に経営破綻である。尼崎紡績を出発点に、大日本紡績、ニチボーとの名を経た名門企業である。
名門の経営破綻に対し、とやかく言うつもりはない。企業の栄枯盛衰である。ましてや繊維業の名門が今は何社残っているのか。残っている企業も事業内容が祖業から様変わりしている。
ユニチカの場合、以前に書いたと記憶しているが、国鉄郡山駅前にニチボーの工場と社宅があった。子供の頃、郡山の経済を支えていた。当時の僕の友達も、妹の友達も、何人かニチボーの社宅に住んでいた。何年生だったか忘れたが、小学生の時にニチボーの工場を見学し、「すごいな」と感動した記憶もある。
ニチボー貝塚、つまり1964年の東京オリンピックで活躍した「東洋の魔女」にはあまり関心がなかった。とはいえ郡山のニチボーつながりで記憶に残っている。
そんなニチボーが郡山から消え、社名はユニチカになり、いつしか名前を聞かなくなった。そして実質的に経営破綻し、いずれにしても繊維から撤退するという。時代の流れながら寂しいものだ。
それで思い出した。郡山のニチボーの工場跡地はUR、つまりかつての日本住宅公団が買い取り、アパートにした。その結果、赤レンガの工場の塀がなくなった。社宅の方はよく知らないが、民間が買い取り、建売住宅にしたようだ。これらの住宅群も、50年くらい経ったのではないか。
と書きつつ、グーグルマップを見ていると、工場跡地付近に広い道路が作られているような。ニチボーを思い出したついでに、一度周辺の変化を調べてみようと思う。
2024/11/30