御本陣山から下りた後は日溜まりでの昼食をはさみ、磨崖仏・石仏巡りをした。最終的に目指すは加茂の西にある大野山である。
磨崖仏・石仏として見学したのは、岩船寺内部のものを除くと、三体地蔵、弥勒辻磨崖仏、一願不動明王、わらい仏、唐臼の壺・二尊、藪中三尊、首切地蔵、大門石仏群、仏谷阿弥陀磨崖仏である。事前にちゃんと調べていれば、もっといろいろ拝めたようだ。
これらに立ち寄りつつ浄瑠璃寺からの府道に出る。その後、しばらくは車道歩きだったが、歩道があり、助かった。しかも御本陣山、灯明寺山の姿を確認できた。
浄瑠璃寺からの府道が奈良からの府道と合わさると、高田の集落である。そこから府道と分かれて細い車道に入り、村中を通って北西に歩く。途中、高田寺(こうでんじ)の夜遊び地蔵を拝み、高田の北西で関西本線をくぐる。それと並行して、かつての大仏鉄道の橋台(石組みの橋脚)が残されている。テッチャンが念入りに写真を撮っていた。
その先で西に折れ、観音寺の集落に入る。手前に三角点(53.9m、点名は観音寺)が畑の中にある。
観音寺から観音寺峠越えの山道に入る。村からの入口は草に覆われた雰囲気だったが、すぐに広い道になる。鹿背山へと越える峠道だが、車社会になった現在、観音寺側はあまり歩かれていないようで、水の流れている箇所があり、そこに1本大きな倒木があった。
峠に着くと、鹿背山からは車の通れる作業道が上がってきていて、北側へと続いていた。
北へと作業道に入る。じきに尾根への山道が右手(東)に分かれ、「エビス山、大久保山」の道標がある。大久保山とは大野山のことのようで、エビス山は大野山の手前にある186mの独立標高点峰(観音寺山とも呼ばれている)のことだった。道標にしたがって山道に入った。M君が「先に行って」と言う。
尾根伝いの整備された道が観音寺山まで続いていた。その先も尾根伝いなのだが、少し笹薮が出てくる。190mの等高線ピークを越し、大野山への登りになると、尾根が西に振っていることもあり、踏み跡が消えた。距離がないので笹薮を分け、大野山に着いた。
雑木林と笹薮を切り開いた中に三角点(203.8m、点名は大野)があった。ただし麓の村のテレビ受信設備とケーブルもあり、風景は良くない。
下りは往路を戻ったのだが、登り以上に難しかった。なんとか踏み跡に出た地点で、登ってきたM君と出会えた。
観音寺峠に戻り、木津駅に向かった。峠から下るとすぐに畑になる。大野山の西斜面が緩やかなため、農作業に比較的適しているようだ。鹿背山の集落を越し、関西本線をくぐり、周囲が新興住宅地となっている峠という集落を越すと、木津駅が近い。木津駅の改札を出入りするのは生まれて初めてなので、ついでに西口も見学した。
写真、上は大野山の山頂である。三角点はアンテナ施設のそばにあり、写っていない。下は観音寺付近から見た大野山である。中央左に大きく見えるのが観音寺山、右側に丸く小さく見えるピークが大野山である。
2024/12/22