川北英隆のブログ

教育改革と無償化とは別物

高校の授業料や小中学校の給食費の無料化を自民と公明が検討を始めたらしい。少数与党に転落したものだから、野党である維新を味方に引き入れるためためだとか。教育とは何なのか。政治的な駆け引きの具としていいのか。いろいろと疑問が浮かんでくる。
小中学校の給食費の無料化は「そうかもしれない」と思う。しかし、今の給食が美味いのかと質問したいものだ。ついでに、地産地消をはじめ、個性を出してもらいたい。食を通じて社会を学ぶ、食文化の本質と多様性を知るくらいの意欲がほしいものだ。
一方の高校の授業料だが、それを安くしたところで日本の教育の質と量が上がるのだろうか。
考えるべきは次の点だろう。すなわち、まず必要なのは教育の質を上げるために何が必要なのかを考えることである。次に、その上がった質を広く役立てることによって量を確保し、結果として教育の「質×量」を高めるためには何が求められるのかである。それなのに「授業料の無料化」から入るのは、「安かろう、悪かろう」に直結しかねない。
というのも、予算という制約があるからだ。たとえば、「授業料の無料化」の財源を確保するために、教育の質を高めるための予算が削られかねない。また、質を高めるために新たに必要となる措置が後回しになりかねない。いずれにせよ、いろいろと弊害が出てくるに違いない。
質を高めるための措置はいろいろとある。1つは教員の質を高めることである。そのためには教員の給与を上げ、人数を増やさなければならない。もう1つは、ネットやコンテンツを活用することによって、教員の補助を行いつつ、きめ細やかに生徒を指導するための仕組み作りと運営が必須となる。
前者は喫緊の課題である。「教育に情熱を持つ人材は給与水準によらない」と叫んでも仕方がない。僕らの時代と異なり、今は「でもしか先生」の割合が高まっているのではないか。人口減少の時代、優秀な人材は引く手あまたである。やりがいのある職業も数多い。そんな中で「でもしか」を減らすには、給与を上げ、教員という職業の魅力度を上げるのは当然の措置である。
後者は文科省や教育委員会の役割に負う部分が多いながらも、具体的な措置は専門業者に頼むことになろう。しかし、いくつかの政府のサイトに入り、もしくはアプリを利用して思うのは、「こんな低レベルのものではアカンやん」である。高いレベルのサイトやアプリを作るには、質の高い業者を選ぶしかない。それは結局のところ委託費次第である。
「いかに安くするのか」から入るのは、1990年代後半以降の「経費や人件費をできるだけ安く」と志向した企業の、失敗の経験の二の舞いでしかない。それと同じ道を選べば、教育は崩壊する。教育の後進国になってしまう。
まずは質の観点から教育を考えるべきである。提供も利用も「安く」は、質を確保できた次の段階に来るべき発想でしかない。

2024/12/23


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