川北英隆のブログ

一等三角点の石戸山へ

小新屋観音を参拝した後、石龕寺に向かった。車道歩きとなる。地図を見つつ、最短のルートを選んだが、それでも6キロはあるだろう。
加古川を谷川に向けて渡り、山裾を越えてすぐの谷沿いの道に入る。岩屋川の小さな扇状地を上がっていく。1キロほど歩くと両側から山が迫って来る。点在する民家が石龕寺に向かって続いていく。
谷奥には大きな岩が露出している。金屋鉱山が陶石を採掘した跡だと後で判明した。また東側の山腹に小さな建物が見える。石龕寺の奥の院に建てられた鐘楼だろう。
最後の民家を過ぎると石龕寺の境内に入る。本堂は質素な建物なのだが、手前にある仁王門と仁王様が立派である。この仁王門のみ鎌倉時代の建造物とのこと。その他は織田信長の丹波攻略によって焼失し、江戸時代以降の再建とある。
本堂を参拝し、境内の東側にある奥の院へ向かった。獣避けをくぐると山道になるのだが、参拝のために整備されている。急な道を経て鐘楼に出る。その左奥に灯籠の並ぶ参道がある。その突き当り右手の岩窟(石龕)の中に毘沙門天が祀られ、岩を覆うように奥の院の古びた建物がある。
奥の院の先も急登が続く。登り切ると送電塔に出る。439mの独立標高点ピークでもあり、頭光嶽と呼ばれているらしい。北側の展望が得られるものの、石戸山は手前の岩屋山(岩屋城跡)に阻まれて見えない。
頭光嶽から稜線を北に進む。400mほどは歩きやすい道なのだが、谷の向こう側に露出した岩壁が見え始めると、反対側への下りが始まる。壊れた小屋を過ぎ、鞍部に出る。重機が3台放置されていた。その右上に、先に見た岩壁が突き上げている。金屋鉱山跡である。
鉱山跡から少し北に歩き、左手の稜線へと上がる。稜線上は岩屋城の堀切跡になっていて、稜線の北と南への分岐にもなっている。石戸山へは稜線を北に向かうのだが、せっかくなので南側にある岩屋城跡を訪れることにした。
堀切跡を2つ越すと岩屋山頂で、小さな祠があった。岩屋古城跡の看板もあり、山頂の大部分は陶石採掘のために掘られたと書かれている。かつては穏やかな稜線が続いていたのだろう。なお岩屋山へは南に位置する石龕寺から直接登ることもできる。
堀切のある分岐に戻り、広葉樹林の中を登ると、すぐに石戸山に出た。一等三角点(548.5m、点名は石戸山)がある。谷川と柏原を隔てる山域の最高点である。もっとも地形図には山名が記されていない。山頂の林は伐採されているのだが、展望はない。
この石戸山には1986年に登っている。石龕寺の印象は少し残っていた(別の時?)が、石戸山の印象はというと、下りがヤブ山に近かったこと以外、ほぼ何も思い出せなかった。写真を探し出すと、当時は篠山方面の山の展望があったようだ。
上の写真は高見城山付近から見た石戸山、下は石戸山の山頂である。
20250110石戸山山頂.jpg

20250110高見城山付近からの石戸山.jpg

2025/01/10


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