「余分な金融機関は退場を」と思ったのは、日本郵政がゆうちょ銀行の支配権を50%以下にするとの日経新聞の記事が目に入ったからである。国の支配権を緩め、経営の自由度を高めたいとか。しかしその前に考えるべきことがあるはずだ。
それは、銀行をはじめとして金融機関の数が多すぎることである。このため日本の金融機関は過当競争に陥っている。預金者にとってはネットの利用が普通になってきた。そんな中、凡庸な金融機能しか提供しないような金融機関は、3つも4つも必要ない。
2006年、ゆうちょ銀行とかんぽ生命が株式会社として設立された。国民の味方、郵便局が持っていた銀行機能と生命保険機能を残すため、2つの株式会社を設立、上場し、いずれ民営化するとの路線を敷いた。それから19年、ゆうちょ銀行とかんぽ生命への政府の出資比率がなんとか50%以下になる。
政府の出資比率が低下しなかったのは株価が冴えなかったから、つまり業績が良くなかったからである。地銀の業績が冴えないのと軌を一にしている。日銀の超が2つも3つも付く異常な金融政策が続けられた影響もあろうが、結局は金融機関に対する社会的なニーズが低下したからである。
そんな中、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の存在意義が強く問われている。比喩的には、イトーヨーカドー問題に象徴されるスーパー業界と同じである。
つまるところ、経営の統廃合を含む金融機関の再編が求められる。その統廃合で余った有能な人材が日本経済の成長分野に新たに配分されることが望ましい。その統廃合の要になるのがゆうちょ銀行ではなかろうか。とくに地方における銀行機能である。
郵便局、地銀、信用金庫、信用組合、農協など、地方には多くの金融機能がある。そんなに複層的な金融機能は不要だろう。ゆうちょ銀行が国の息のかかった機関として、地方の金融機能を集約する役割を担うべきだと考える。巨大な組織だから、そのくらいは可能な体力と知力を持っているに決まっている。だから地方のコアになれる。
この19年間を無駄に過ごして来なかった証として、今後の経営の御旗に「国民の、地方の金融を担う」を是非とも掲げてほしいものだ。ちまちまとした目標はどうでもいいので。さもなければ、都市部での郵便局の金融サービスが劣悪なこともあり、さっさと、少なくとも都市部からは退場してもらいたいものだと国民の一人として願う。
2025/02/27