3月3日、日本生命入社50周年の同期会があった。当時、現役での卒業より2年遅れまで大学新卒として採用していたので、後期高齢者に踏み入れた者も出席していた。月日の経過がここまで速いとは、体感してみて「やはりね」である。
1974年4月に入社した。その数日前だったか、大阪御堂筋線の江坂駅にあった「かだんちょう」研修寮に集合し、2週間と記憶しているが、泊まり込みの研修生活に入った。「かだんちょう」研修寮が無くなったのは知っていたが、どんな漢字を書くのか調べようとしたところ、本当に跡形もなく消えていた。花壇町だったのか。
それはともかく、50周年の会場は上野公園の精養軒だった。雨が一時的に雪になった。カンザクラが咲いていた。
80人少しの入社のうち、昨日の出席者は38人だった。多いと言うべきだろう。
その38人、この年になると各人各様である。もちろん亡くなったのもいる。この1年間で3人だとか。奥さんに先立たれたのも出てきている。健康状態、仕事をしているのかいないのか、髪はなど、50年前の紅顔の美少年(残念ながら当時、女性の総合職はゼロ)がここまで分化するのかと、年月への抗いがたさを感じ、つい我が身を振り返ってしまう。
「ところで」とふと思ったのだが、同期会は東京と大阪で毎年行われ、僕自身は都合がつくかぎり両方に出席している。すると38人いたとはいえ、両方に出席していると、毎年ほぼ全員に会っているのではないか。
「そらそうやろな」と思う。毎年出ている者は50周年にも出席しようとするだろう。北海道や九州からの出席者が一番遠いが、彼らにも時々会っている。
50周年の同期会が特別なのは、東西合同だという点にほぼ尽きる。会場も例年に比べて豪勢だったが。
今後はこの人数がどの程度のスピードで減っていくか、万年幹事役がどこまで頑張ってくれるかだろう。5年後、55周年が区切りかもしれない。その後は・・、あまり考えないことにしたい。
2025/03/04