知人の子どもが高校受験だとか。50歳代に生まれたから、一緒に出掛けると、孫を連れているように見えたとか。それはともあれ、受験に対して批判的である。私立の一応の進学校に受かっているので(公立の合格発表はまだ)、制度そのものを馬鹿げているとする。
批判の最大の対象は暗記試験である。中国の科挙制度の影響だろう。過去の資料を暗記することが基本となる。もちろん暗記だけでは足りないのだが、暗記していないと始まらない。
この暗記は、今や小学生から始まる。いい中学に入り、高校に入り、大学に入る。大学に入った瞬間、多くの者は暗記の世界から解き放たれ、自由の身となる。これでは受験ではなく受刑だろう。僕も最初は受刑とタイプミスしてしまった。
一方、大学に入ったからといって、暗記の世界から開放されない者もいる。司法試験、公認会計士試験、医師などの資格試験コースを歩む者である。かつては、「ずうっと勉強を続けて偉いね」だったのだが、今はどうか。AI(人工知能)がその記憶の多くを代替してくれる。本当に優れた者とは、AIを外部記憶装置として使い、その記憶の上に思考の大きな城を築き、役立てる者を指すようになった。海外を見渡すと、その変化が如実になっている。
残念ながら、今の日本のトップ層はAIの時代に育った者ではない。だから依然として自らの記憶偏重に陥るのが関の山である。
国家公務員のトップ層には司法試験に受かった者が多い。そうでなくとも、大学時代には国家公務員を目指して準備をしたはず、暗記の世界から完全には抜け出していない。そのおかげで国家公務員となり、省庁のトップ層に上り詰めたわけだから、頭に記憶することが重要だとの科挙伝来の伝統的発想の影響を強く受けている。
日本の大企業の役職員は、多くの場合だが、もっと酷い。暗記の世界から開放され、「大学の授業には出なかった」が多くの場合に自慢話となる。今の大学には「欠席続きの者を卒業させるほどの度量はない」から、「適当に単位を取ったけど、卒業できた」が自慢かもしれない。
いずれにしてもろくに勉強せず卒業し、企業のトップ層になれたため、それが成功体験となり、「大学なんて役に立たない」との主張につながる。大学に入ってすぐに就活に突入させる昨今の企業の「行儀の良さ」は、このトップ層の体験由来だろう。
これが日本の現在と未来に強く影響するのは当然である。
今国会で高校の無償化が議論された。日本の教育の質を高めるのが目的なのだろう。しかし高校を無償でというのは教育の枝葉末節でしかない。すぐれた人材に教育の機会を与える方法はいくらでもある。
それよりも重要なのは、「何を教えるのか、学ばせるのか」である。その一環としての受験制度である。残念ながら今の国会議員のほとんどは、「大学なんて何の役にも立たない」と強く感じた成功者だろうが。
2025/03/01