川北英隆のブログ

社会人としての最低限の責務

3月も上旬が過ぎていく。4月から社会人生活を迎える学生も多いだろう。そんな中、最近感じている「社会人としての最低限の責務」について書いておく。
僕の子供の頃、栃若時代を築いた栃錦が日経新聞「私の履歴書」に書いていたことを思い出す。いつの記事だったのか、調べると1982年12月だったとか。それだけ僕にとって強烈な印象があり、共感したのだろう。
それで何を書いていたのか。細かには覚えていない。印象に残っているのは、「地位に応じた成績を残すように努力した」というような記述である。栃錦が名力士になるとは多くは思っていなかった(確かそう本人が書いていた)。しかし地位が上がればそれに応じた成績を残し、やがて横綱になり、横綱にふさわしい成績をあげたから、大横綱として名を残した。
サラリーマンで言えば、地位、すなわち給料に見合った仕事をしたということである。別に飛躍した仕事をする必要はない。着実に仕事をこなせば、「出来る」と認められる。逆に給料未満の仕事で終われば、「何か足りんな」「出来ないのと違うか」となる。
この給料に見合った仕事とは、簡単なようで難しい。企業とすれば多分だが、少なくとも給与の倍以上稼いでもらわないと採算が合わない。しかも、生産現場そのものに勤務しているのならともかく、そうでなければ、毎年同じことの繰り返しだけなら意味がない。時の流れとともにプラスアルファがないと、「他社との比較で退化している」、つまり「価値を落としている」「企業に対する負の貢献しかしていない」と評価される。
僕は栃錦的な仕事の仕方を理想としてきた。相撲取りの場合、コンディションの問題が大きく作用するから栃錦も大変だったと思うが、サラリーマンの場合、普通であけば体調は問題にならない。だから息抜きというか将来のための知識吸収の時間も取れる。まあ本音として言えば、80%くらいの能力発揮で十分である。とはいえ、残りは20%しかなく、その使い方も重要となる。
仕事の能力や態度は、誰にも見られていないようで、多くが見ている。だからサボってはいけない。とはいえ、サラリーマンの場合、100%の力で疾走したとしても評価されるとはかぎらない。適当に仕事をし、しかし責務は果たす。これが分散投資的なサラリーマンとしての生き方だろう。社長になりたいのなら別かもしれないとも申し添えておく。

2025/03/05


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