知人との子ども談義が続いている。彼の子どもは私立高校に入り、勉強の傍ら、軽音楽のサークルに入るそうだ。入学までにエレキベースの練習をしたいとかで、知人は楽器を買い与えたらしい。知人からすると、「それは楽しそうだが、勉強もしてよな」だろう。
高校時代までの理想は、詰め込み式の勉強ではない。単なる受験勉強以外に、いろんなことを学びつつ自分自身の関心事項を絞り込み、能力を確認することにある。受験勉強以外のいろんなことを学ぶと、無駄と思えることも出てくる。しかし、その無駄が教養になるのに加え、自分で考えて行動することに結びつく。自他の比較もできる。
知人の子どもの軽音楽で思い出したのは、昨年11月の日経新聞「私の履歴書」に登場したジェラルド・カーティスである。学生時代に音楽活動で稼いだと、確か書いてあった。
僕の場合も思い出した。勉強に全力を注がなかったから、いろんなことができた。
中学から高校まで一緒だった早熟な友人にMT君がいて、彼と話をするために数学、物理、天文、哲学、世界文学などの本を読んだ。文学以外は真剣に勉強しないと前に進まないため、その世界で活躍する自分の姿をイメージできなかった。
MT君と共通の世界から離れ、自分自身の領域もあった。小遣いをもらい、学校の帰りに地形図を買っては、まだ行ったことのない土地の姿を頭の中で描いた。スヴェン・ヘディンなどの探検記を図書館で借りて読んだ。
とはいえ探検家になろうとは思わなかった。『輝く株は発見できる』に書いたと記憶しているが、探検家になるには、たとえば極寒に耐える体力作りが必要なものの、それは到底無理だと悟った。せいぜい見知らぬ土地や辺境への旅くらいかなと諦め、今の趣味につながっている。
当時は父親の運転で日帰り旅行も頻繁にした。地形図でイメージしていた見知らぬ土地の現実の姿を知ったわけだ。その日帰り旅行が次の見知らぬ土地へのイメージを膨らませてくれる。父親には感謝である。彼も旅行が好きだったのだろうが。
MT君が導いてくれた世界は、社会人になってからの仕事と直接には無関係である。しかし少なくとも思考力を養ってくれたといえる。見知らぬ土地の世界は、旅行して世界の経済動向を垣間見ることにつながっている。
それでMT君はどうなったのか。精神科医になった。中高時代の延長線上だと思う。
2025/03/10