コメの値段がまだ上がっている。2月の東京のコメは1年前と比べて77.5%上昇したとある。ほぼ倍である。この影響は様々な米製品や外食にも波及している。昼飯を外で食べると、「ええっまた、少し前に上がっただけやん」と思ってしまう。
ここまでコメの値段が上がった理由は何か。昨年夏の農水省の説明が「上昇は一時的」とトンチンカンだっただけに、闇である。その農水省、ようやく備蓄米の放出に踏み切ったのだが、値段の下がる気配がない。
そもそもコメを統制下に置きながら、その生産量や需給を把握できない日本の農業政策って何なのか。旧態依然とした法規制の上に胡座をかいてきただけに近い。農水省は農協を手下として使ってきたわけだが、その手下が機能せず、かえって農水省の目眩まし役となった気もする。
それはともかく、食糧の生産は国の安全保障としても重要である。しかし都市部の農地は虫食い状態になり、地方の農地は老齢化にともなう従事者不足に苦しみ、耕作放棄地が多く見られる。この状態を打破しないかぎり、食糧の安全保障は確保できない。
どうすればいいのか。単純な株式会社化が切り札になるとは思えない。
重要なのは、1つは農業適地の確保である。農地法があるにもかかわらず、都市部を中心に虫食いが生じたのは、それがザル法だったからだとされる。むしろ法律が権益を生み、特定の者にとっての権限と利益の源泉となってはいないのか。この農地制度を変えないといけない。
もう1つは生産者の確保である。農業を魅力的な産業にすることがポイントとなる。近代化というのではなく、先端機材を使った現代化が必要となる。農地の集約も必要となり、このためには(知人が引き継いだ農地の貸借の話を聞いていると思うに)農地の貸借に関する法制度の整備も考えなければならない。
もっと大胆に発想するのなら、今の農協は不要だろう。農協が担ってきた役割とは、農家の生産物の買い取りであり、機械、肥料、農薬、保険や預金の仲介業務である。これらについて農協を入れる必要性が薄れている。かえって邪魔なような。
農協は生産活動、つまり農業そのものに従事するのが本筋だろう。農協=農業協同組合の名に反するわけでもない。名が気に入らないのなら、農業生産協同組合にすればいい。農協が農業そのものに従事するのなら、人手が増える。農水省の調べによると、農協の職員数は17.2万人とあり、それ以外に役員数が1.4万人とある。
足りない人手は、農家を束ね、不足なら従事者を募って雇用すればいい。さらには生産のノウハウを集約して技術革新すればいい。もちろん今までどおり機械や必要な物品に関する情報を使うことができる。
農水省とその手下である農協は、もっと生産現場に足を突っ込むべきである。統制しようし、命令を下すだけが能ではない。明るい日本の農業のため、もっと汗をかいてほしいものだ。
2025/03/20