朝、新幹線で東京から帰ってきた。東京は花粉が酷くて、それもあり、京都駅でトイレに向かった。と、男の列ができているではないか。女の列はしょっちゅうながら、男には珍しい長蛇である。
「まあ男だから、すぐに列はなくなるはず」と思い、並ぼうとしたところ、小の空きが目に入った。ということは、「大のための、大の大人の大行列なのか」と大仰天してしまった。老人ならともかく、ほとんどは比較的若い。外人が混じっているわけでもない。しかも、僕の後で並ぼうとした2人連れがいて、「別のとこにしようか」と小声で相談していた。春の観光シーズンだからなのか。
9時前である。「そんなことでは生きるための戦いはでけへんで」と思うが、女はしょっちゅう並んでいるのだから(実のところ今日は列が外からは見えなかったのだが)、男女平等の世の中、仕方ないのかだろうか。
子供の頃、戦争体験のある親に言われたものだ。「ちゃんと身支度を整えて学校に行くのやで」と。その身支度には、歯磨きはもちろん、朝食も排泄も入っていた。社会人になると朝刊に目を通すことも加わる。
それができていないと、少し上で書いたように一日を戦えない。「相撲取りならどうするのや」だろう。
他国から侵略戦争を仕掛けられかねない時代である。起きれば常に臨戦態勢、それが現代の男女に強く要請されている。「早飯と早なんとかも芸のうち」である。
2025/04/04